北品川駅は、なぜ品川駅の南側にあるのか

こんにちは!

株式会社グローバルプランニングの松井です。

たまたま仕事の関係でGoogle mapを見ていたときに気になったことがあったので、調べてみました。

それは、京急本線の北品川駅が品川駅の南側にあるのに、「北品川」という駅名がついていることです。

結論から言うと、どこを品川の中心と考えているかで地名が決まっているようです。

現在の基準から見ると品川駅を中心と見てしまいがちですが、鉄道の敷設され始めた明治初期の時代を基準にすると、品川の街の中心は、今の京急の新馬場駅付近なのです。

つまり、品川の中心の北側なので、「北品川」という駅名なのです。

これは、明治時代の人々の鉄道に対するイメージにも起因してきます。

それまでの鉄道は、蒸気機関車が主に使用されていて、現在のように電車に切り替わったのは、昭和に入ってからです。

そのため今でこそ、駅近の不動産は人気ですが、蒸気機関車による煙害から人々は鉄道駅が近くに出来る事を反対していました。

これにより、明治政府は住宅地を避けるため、「品川駅」を品川から北に外れた高輪に造ることとなりました。

駅名を高輪とする方法もありましたが、当時の東海道線の駅は川崎・大森・品川と駅間があいており、わかりやすさから「品川駅」と名付けられたそうです。

時代の移り変わりとともに、都市形成の仕方も鉄道が大きくかかわっています。

その結果、駅周辺が発達し、駅から離れるにしたがって不便になっていく傾向にあります。

これからの時代はどのように、街並みが変化していくのでしょうか。

楽しみです。

松井


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